才能と努力の関係を整理したい
少し前、Twitterでこんなツイートをみました。
才能の差なんて大したことない。何か物事が上手くいかないと時に才能のせいにするな。
— KeisukeHonda(本田圭佑) (@kskgroup2017) 2018年12月8日
自分の努力が足りなかったからと考えろ。少なくとも俺はそう考えることが未来を切り開くと思ってる。
ミランで成功できなかったのも
W杯で優勝できなかったのも
俺の努力が足りなかったから。
努力に限界なし!
よくある議論ですよね。
本田選手が言っていることはすごく大切なことなのですが、リプライを見るとみんな賛否両論です。
自分の中でも曖昧になってしまっているので、この機会に整理しておこうと思います。
まず、この発言自体は努力の素晴らしさを語っているので、基本的に良いことを言っているのですが、手放しで賛成しにくいような気持ちになってしまうのは、やはり本田選手が「成功者」だからです。
成功した人は、もちろん多分の努力はあったのでしょうが、他の人と比較して絶大な才能があったから成功しているのです。
努力こそが重要なのだと言い聞かせるために、というのはわかりますが、やはり才能があって成功している人が「才能の差なんて大したことない」なんて言うと、ちょっとムッとしてしまいます。
しかし、努力が大切なのは疑いようがない。成功には才能が必要なのであれば、努力は何をもたらすのか。それは成長だと思います。所謂のびしろですよね。
「努力は成長させるけれども、成功には才能も必要」
こう考えるとスッキリする気がします。
考えてみれば普通のことで、多くの人にとってはわざわざ言うことでもないかもしれないですけどね。
「努力は裏切らない」という言葉はありますが、努力すれば確実に何かしら成長しているものだし、そういう意味では裏切らないと思います。ただ、成長の幅や速度は才能によるところが大きいですが。
おそらく、マッチョマンたちからよく聞く「筋肉は裏切らない」も似たようなものなのでは…筋肉は努力と成長を可視化したという意味で。ぼくは筋肉ないのでわかりません。
一方で、才能は自分でどうこうできるものではないですね。もしかしたら才能がないのかもしれないし、いつどんなことをきっかけに成長するかも人それぞれでわからない。
受験勉強前には成績のよくなかった人が、勉強中に覚醒し、受験前には成績の良かった人を追い抜くこともあります。何かをつかんだり、そもそも頭の成長速度やポテンシャルだって、いつのびるかわからないんだなあとよく感じました。(「ドラゴン桜」でもそんなこと言ってたような)
現実問題、成功するためには自分に才能があると信じるなり、本田選手のように才能の差なんて大したことないと思うなりして、努力して成長することしかやれることはないんですね。
ぼく自身はどう考えているかと言いますと、端的に言えば「成功することをやめました」。
今の仕事を始めて、最初は若気の至りで自信もあったのですが、仕事進める中でボコボコに怒られることが続き、意気消沈して努力しようとかそういう気持ちを失ってしまいました。
それからしばらくくさって、仕事をやめるでもなく惰性で過ごしていました。今の仕事をやめてもやりたいことはなかったですし。そうして過ごすうちに時間が経つと不思議なもので、考え方も前向きに変わってきています。
その結果「自分にはどうやら才能が無いようなので、成功することはやめよう」と思い至りました。
ただ一つの成功ではなく、仕事に限らず今の状況からアップデートし続けることに全力を注ごうと思ったのでした。アップデートするとは自分自身が成長すること。成長を成功のための手段ではなく、自己目的化することにしたのです。
そうするとやりたいことが明確になり、わりとポジティブに過ごせています。成功したい気持ちだけが強いと、うまくいかないときに気持ちが保てないようです。ゴールへの意志がそれほど強くない人にオススメです。
成功なんてしなくても、普通の人生でも、みんなそれぞれ成長しながら楽しく生きていけたらいいじゃん。
もちろん、成功することあきらめたって、成長さえしていれば成功するかもしれない。