富士見と江戸見

今週の東京はとても寒い日がありました。雪が降るおそれがあり、通勤に注意とのニュースが前日に出ていましたが、残念ながら(!)電車はいつも通り動き、僕は予定通り会社に運ばれていくことになりました。少し残念でした。

 


私の家の玄関は西を向いています。朝ドアを開けると家々の三角屋根の間に富士山が見えました。真っ白になっていて、こちらは雪が降りませんでしたが、富士山にはあたりでは大雪なのでしょうか。

 


富士山を見ると、ずっと前に「アースダイバー(中沢新一)」を読んだとき、「東京の中心は富士山」というのに衝撃を受けたのを思い出します(本当にこんな言い方だったかは定かでない、おぼろげな記憶の範囲で)。普段平たくて山の見えない東京で、澄んだ空気の中浮かび上がった富士山は、はるか昔から特別な存在だったのだろうということも納得します。多摩川沿いの古墳群に眠るかつての豪族たちも、高台から富士山をみつめていたのでしょう。

 


私の住んでいる所の近くに、「富士見坂」という場所があります。西の方へ高くのぼる坂で、昔からよく富士山が見えたのでしょうね。また、「江戸見坂」というのもあります。江戸がよく見える高台だったのでしょう。私の住んでいるところは富士山と東京都心の間にあり、両方の間だということが強く意識の中にあったように感じます。

 


少し前に「世界ふしぎ発見!」で、富士山-明治神宮-皇居-スカイツリー-鹿島神宮レイラインの話が特集されてました。霊的な力についてはよくわかりませんが、何か記念になる建物建てるときは江戸も富士山も見えるような場所につくりたいなと思っても納得できます。鹿島神宮から日が昇り、富士山に沈んでいく。最高に映えますよね。大きな陰謀論的な話ではなく、シンプルにそうしたかった、ということなんじゃないのかな。

 


私は関西出身で、盆地の山に囲まれた地域で長らく過ごしました。そのせいもあって、東京に引っ越してきたころは、周りに山がないことで漠々とした雰囲気に不安になったものです。

 


でも今は西をむけば富士山があって、東を向けば都心の超高層ビルが見えます。昔から変わらない「富士見」と、超高層ビルが「江戸見」の役割を果たすことによって、自分の住む街としてのベンチマークになっている気がします。

 

過去から現在の時間と場所に思いをはせつつ。

 

 

 

 


どうでもいいけど、山を「さん」て言うのっていいよね。富士さん。